目に見えない敵と戦い、目に見えない成長を遂げる

春のセンバツに続き、夏の甲子園も中止が決まった。
ある程度予想はしていたものの、本当になくなってしまったんだという喪失感がじわじわとわいてくる。

世界中が新型コロナウィルスの影響を受けている。

全てが止まった。仕方ないとは思う。


だけど、
17才の、高校球児の胸のうちは……
親として、何もできない。

泣き言をひとつも言わない。
すべてを受け入れているみたいに。

ふと思った。
ほんとは泣きたいくらい悔しいんじゃないの?

8才からソフトボールを始めて、ショートを任され、試合に出る喜び、打つ楽しさ、守る難しさ、仲間とのふれあいなど、
たくさんの経験をした。
中学では、絶対に硬式野球をやるんだと頑として譲らず、
学校の部活ではなく、隣県の硬式野球チームに入った。
意気揚々と、練習に励んで、充実した日々を過ごしていた13才の秋、突然の腰の激痛が息子を襲った。
腰椎分離症だった。
徒歩で学校に通うのもつらいくらいの痛みだった。
もう野球はやめなさいと、私は言った。
医者からは、高校でやりたいのなら、今きちんと休んで治したほうがいいと言われた。医者の言われた通り、完全復活するまで、一年、辛抱した。
ランニングができなくても、キャッチボールができなくても、
試合に出れなくても、思い切りスイングができなくても、練習を休みたいとは言わなかった。
14才の秋、復帰戦、ファースト四番で出場させてもらえた。
何ヵ月も試合に出られなかったが、息子はどんな思いで、
グラウンドに立ったのか。

中学3年になったばかりの春、定期検診でCT検査をしたら、
再発していた。
なぜ、こんなに思うように野球をやらせてくれないんだと
悔しかった。
また、休むことにした。
全ては高校で、思い切り野球をやるために……

腰椎分離症のこともあったので、練習と勉強との両立を考えて
県立高校に入った。
16才、野球部と勉強の両立は、大変なこともあるけど、充実した日々を過ごしていたと思う。
そして17才、今、最後の夏が、ゆっくりと始まろうとしている。
腰椎分離症になってから、ほとんど毎日欠かさずにやっているストレッチ。からだの柔らかさは、バレエダンサー並(?_?)
になっている。
学校での練習はできないけれど、チームメートとの自主練習
汗を流している。グローブの手入れも欠かさない。
家では、バッティングフォームの確認も念入りに。
撮りためた録画を観るのは、たいてい甲子園での球児の熱戦。

野球熱は、冷めてなんかない。

グラウンドで敵と戦う試合が、見たい。
ユニフォームを汚してもいい、空振りでも思い切り振らせてやりたい。
グラウンドでしか感じることのできない、風を、暑さを、匂いを感じさせてやりたい。

いま、目に見えない敵と
真正面から戦っている、息子。
もし、泣きたいのなら、グラウンドで泣かせてあげたい。
後退しているようで、目に見えない成長は、毎日遂げている
、、、